初参加者が戸惑う「沈黙」について考えてみたいと思います。
「沈黙」とは、グループ中に参加者のだれからも言葉がでない状態が長時間続くことです。
10分程度を超えることが珍しくありません。もっとも、長い沈黙は毎回起こるわけではありません。
エンカウンターグループは、議論する場でもありませんし、だれかが説法やアドバイスをする場でもありません。
気が知れた友だち同士でもないので、最初から打ち解けて、話が展開するわけにはなかなかなりません。
沈黙が起こるには理由が存在するはずです。その理由はなんでしょうか。
初参加者
・ はじめての参加なのに話してもよいのだろうか。
・ こんなことを話しても構わないのだろうか。
・ エンカウンターグループでどのようなことが話されるか知りたくて来ていているのに。
古株のメンバー
・ 初めての方や久しぶりの方の話を聞きたい。
・ 疲れているので、無理に話す必要はないだろう(話すことを強要されない場であることがよい所)。
・ 話したいけど、みんなの時間を独占したくない。
・ 「沈黙」は意味があると思うし、その後の展開に期待がもてる。
・ どっちかというと、ひとの話にのる方がやりやすい。
・ 悩みがあるが、本当に話したいときにだけメンバーに聞いてもらえればよい。
ファシリテーター
・ グループを操作するとはしたくない。
・ 自分自身を前面に出したくない(グループを支える役回りに徹したい)。
このような理由で沈黙になってしまいますが、それが最後まで続くことは稀です。
誰かが話すか、沈黙の不満・不安を漏らことにより、グループは展開していきます。
グループが終わった後、喫茶店などに行って話してみると、みんな沈黙は苦手または嫌いなようです。
グループ中では、沈黙が悪いもの、避けるべきものとは決めつけないようです。
2005年 1月3日
N.M.
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考えてみると、私にとってエンカウンターグループとは、いつの間にかべーシックエンカウンターグループを意味するようになっていた。
元々の出会いはベーシックだったこともあるだろうが、
出会いからしばらく経つといろいろなエンカウンターグループに参加することが出来た。
その上で参加したいと思うのは、真にベーシックなエンカウンターグループだった。
いいとか悪いとかではなく、ただ自分に合っている感じがしていた。
その理由が最近少し分かってきたような気がしている。
構成的エンカウンターグループに比べ、ベーシック(非構成的)エンカウンターグループは難しいと書いている本を見たことがある。
確かにそうかもしれない。
始まっていきなり数時間も無言の事があるし、自分の発言に思いがけず、激しい感情を返してくる人がいたりと、
日常ではあまり出会うことの無い事を体験する。
時にはとても辛い気持ちになる。
だが、構成的グループでも私は辛い経験をした。
プログラムが決まっているので、自分のその時の気持ちに逆らってもやることがあったし、そうしなければならない雰囲気だった。
ある体験をして、もっと自分の気持ちを探りたくても時間的な猶予が無かった。
私にとっては、はるかに後者の方が辛く感じる。
その違いのひとつを言葉にするとしたら、ベーシックなグループは自分に優しく寄り添うことの出来る感じに対して、
必ずしもいえないが、構成的なグループは自分を見つめなければならない辛さを感じる。
もし傷が癒えれば自ら動き出そうとする。
そんな人間の自然なありようにもっとも近い感じが、ベーシックなグループに感じ、惹かれていると、この頃気がついた。
2004年 9月13日
森永匡
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わたしがはじめてエンカウンターグループに参加したのは、2000年2月のMOEであった。
その時、沈黙がやたら長く、ぎこちなく感じた。
しかし、自分のペースでいられた。
居場所で出会うことができた。
MOEの参加をきっかけに、別のグループにも参加するようになった。
しかし、別のグループは長く続くことはなく、自分の居場所がひとつ失われたような気がした。
その時、自分がグループに依存しているのではないかと思うようになった。
次第に、自分の内面を磨いていきたい、自己実現を目指したいとの思いが強くなってきた。
今、私はもがきながらも、本当に自分がやりたかった事、フリースクールの立ち上げを目指して、頑張り始めている。
2004年 10月7日
H.M.
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いろいろな人と出会えるのが楽しい。
のんびりとリラックスできる。
日常と違う気分が味わえる。
2004年 12月19日
伊吹豪一
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年齢も仕事も、もちろん物事の考えかたも生き方も違う人達と出会い、 そしてその場所で、自分自身を自由にする自由をお互いに与え合う。 そうした状況を、苦しく感じるか、または楽しく、開放感を感じるか。。 微細でありながらパワフルな感情の動きを体感し、まさに「感度」を
高めてくれる場所だと思います。
2005年 10月8日
女性、20代
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守口のエンカウンター(MOE)はインターネッットのホームページで検索し、私は、エンカウンター・グループに以前から興味を持っていたことから、思い切って去年の5月頃、初めて参加しました。
エンカウンター・グループでは沈黙から始まり、その場にいるメンバーの誰かが、話したいなと思ったことを話し始めるという空間であり、その話を聞いて、何かを感じたいと思う人もいたりと様々な目的を持った人がいるグループだと思っています。
MOEでは3時間という時間の中で、人の話を聞いたり、聞いてもらったり、何か反応を返してもらったりという、ゆっくりとした時間を過ごしています。
誰かに聞いてもらいたい、何かを感じたいという人にとってはとてもいい機会ではないかと思います。
2006年 1月30日
K.I.女性 ▲ このページのトップへ
普段の生活では、うまく自分を表現できなかったり気の利いたことを言えず困ってしまう場面が多かった。
MOEの場合は「沈黙」もありということで、最初は戸惑ったが一度話し出すと本当の自分を出せたような気がした。
初めての参加だったが、MOEは居心地のよい居場所になった。
2006年 1月30日
M.I.
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守口エンカウンターグループは、ほっと安心できる場だなって感じています。
ゆっくり自分の内側の声に耳を澄ましたり、
じっと、黙ってほかのひとの話を聴いたり、
ふと、話してみたくなったら、話したり‥、
いろんな感覚や想いがわいてきても自由に、
グループに居られるのは、嬉しいものです。
無理したり、頑張らねば‥から開放されて。
存在を認めてもらってるような感じがして、
素直に、自分を表現してもいいんだなって、
安心感とうれしさに包まれているようです。
私も地元高槻でエンカウンターグループをしていて、
帰りの電車の中ではおのずと‥グループの事を想い、
想いをめぐらせては・・・・
自分のなかに、いつのまにか、力が湧いてきているのを感じています。
そして、そのことはわたしにとって、とても心強いことでもあります。
MOEは、わたしにとって、安心できる貴重な場です。
2008年12月27日
松岡弘子
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